六徳学で最幸をつかむ


六徳学とは、幸せな人生を送るための成功法則の学びです。

基盤となっているのは、琉球王朝時代に中国で学び、のちに現在の沖縄県名護市を統括した武将である名護親方の記した「六諭」です

 

六諭には・・・孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為の六つの教えが書かれています。

父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれの六言。

 

親孝行しましょう。上の者には敬意をはらいましょう。地域を大事にしましょう。子孫にしっかりとした教育をしましょう。自分の力量を知りましょう。悪いことはしないでおきましょう。

 

そういった単純、且つ、明快な教えなのですが、そこには深い教えが隠されているのです。

 

例えば、「孝順父母」(親孝行しましょう)という項目。

親を慈しみ、尊敬し、いうことをしっかりと聞きなさいというのが大意ですね。

このことをキチンと守っていた頃は、環境、食事、仕事といったものは、単純なことが多かったのです。

しかしながら、環境の激変した現代社会では親孝行したくても難しい状態です。資本主義社会が浸透し、以前のような人間同士の助け合いが希薄になってしまいました。それは、人を孤立させ、競争させてしまいます。お金を稼がなくては生きていけない時代なので、故郷を離れ、都会で仕事をしている方にとって、親の近くにいないことは親孝行にはならないこともあります。(昔の考え方を中心にした場合)

夫婦共働きでやっと生きていける状態の方も少なくなく(パパ比嘉家も同様)、自身の親に時間をかけることも難しいのです。また、親の育ってきた時代環境と現代とは比較にならないほど変化しており、親の教訓が必ずしも現代に通じるとは限りません。それどころか、親自体が正しい教訓を学んでいるかどうかも怪しくなっております。

 

● 六徳学ではこの教訓「孝順父母」を、以下のように学びます。

 

六諭では→「孝順父母」親の言うことを聞き、反抗せず、親を敬い慈しみ、大事にしましょう。

六徳学では→親から頂いた自身の体と心を健康に保つことが最大の親孝行。

ゆえに、自分で行動を制御する方法、制御して心身の健康を保つ方法、そして、命の次に大事なお金の流れを作り、親が子供の心配をせずに済む生き方や考え方を学びます。

 

 

● 六徳学ではこの教訓「尊敬長上」を、以下のように学びます。

 

六諭では→「尊敬長上」年長者に敬意をもって接する。年少者であっても能力のある者には敬意を持つ。

六徳学では→誰に対してもしっかりとした礼節・礼儀をもって接すること。そのために必要不可欠なものとして「挨拶」を忘れてはいけない。しかし、ただ形式的な挨拶だけでは意味がない。挨拶するときの言葉(言霊)の意味を把握して使うことは、相手の心に響く。

例 「こんにちは」→もともとは「今日はご機嫌いかがでしょうか」という相手をねぎらう意味で使う言葉であります。それが短縮化され「今日は→こんにちは」となっている。

相手を応援する言葉・礼儀作法を使うことを学びます。

 

● 六徳学ではこの教訓「和睦郷里」を、以下のように学びます。

 

六諭では→故郷の地を愛し、故郷の人を愛し、地域の人々と和合をとって仲良くしましょう。

六徳学では→故郷の歴史・文化を学び、次世代に繋げるようにしましょう。次世代たちが故郷に住んで良かったと思える地域に育てるため、地域に関わる事を始めましょう。

例 コンビニのゴミ箱周りにゴミが散乱していたら、進んでゴミ箱に捨てる。

かつて以下のような相談があり、ステキな解決につながったことがあります。

自営業の運営がうまくいかず、廃業を考えている事業主がいらしてました。そこで、その場所を訪問させていただき、色々とアドバイスをする中でひとつ、「目の前にあるコンビニのゴミ箱があるじゃないですか?あそこの回りにゴミが散乱していたら拾って捨ててください。もちろん、あなたがコンビニを利用するときで構いません」とお伝えしました。

素直に従った相談者さんは、その後に以下の報告をされてらっしゃいました。

「ゴミ拾いしてたら客が増えてきました。どうやら、地域の方が見てらっしゃったようですね。今ではそのコンビニの前を通る小学生までゴミ拾いしているところを見ましたよ。」子供たちは幼いころ、親や保育園、幼稚園で、ゴミを見たら拾って捨てなさいと教えられています。大人がやれば、次世代も・・・です。これが地域に貢献するということのひとつです。

 

● 六徳学ではこの教訓「教訓子孫」を、以下のように学びます。

 

六諭では→子孫に正しい教えを学ばせなさい。勉強をさせなさい。正しく導きなさい。

六徳学では→生きて行く上で重要なことを「約束」という観念を利用して教え伝えなさい。

幼いころの教育やしつけは、その後の少年期、青年期(思春期含む)、成人期、中年期、準高齢期、高齢期、終末期に強く影響されることは「三つ子の魂百まで」という言葉で表されるほど大事とされております。そこで、しつけや教育をしていくとき、「約束」をキーワードにしていくとうまくいくことが多いです。例えば、幼い子供がスーパーで走っている。「あぶないからやめなさい」とか、「店員さんに怒られるよ」など、走るのをやめさせるために叱りますよね。ですが、なかなかいうことを聞きません。なぜならば、子供は「自分は人や物にぶつからずに走る自信があるからあぶなくない」と思っているし、昔みたいに地域の人が他人の子を叱ることが激減しているため「店員さんに怒られたことがあまりない」もしくは「店員さんは怒らない」ことを知っていることがあります。そこで、「ここは走ると所じゃない。買い物をするところ」だと教え諭すことで子供は理解し、行動を抑制することが出来てきます。

社会の約束事やルールを学ぶことは、社会適応力を養うことにもつながります。遊びも「ルール」や約束事が合って楽しめるもの。その他子どもとの対応法について学びます。

 

● 六徳学ではこの教訓「各安生理」を、以下のように学びます。

 

六諭では→各々の生業に甘んじなさい。自らの身の程を知り、無理な背伸びはしないようにしなさい。

六徳学では→自身の状態を把握しなさい。今の状態を受け入れ、そこから出来ることを進めて行きなさい。「おごる」ことなく、「くさる」ことなく生きなさい。

昔は「身分」という考え方がありました。武士は武士として生きる。農家は農家として生きる。武士と農民は人間同士ですが、違う生業(仕事)を持つわけだから、各々の身の程で生きろということですが、現代は違いますよね。

現代社会は誰にでもチャンスがあり、条件が揃えば、トンビの子が鷹になることは容易な世の中です。

逆に、おごり高ぶっていれば、孤立しやすく、果ては誰からも相手にされない人生になってしまいます。

確かに、人にはそれぞれ「もって生まれた宿命」はあります。世界中の皆が公務員になりたいとなってはこの世界は存続できません。世界中の皆が農業を専業とすることも同様です。ただ、そのもって生まれた宿命を上手に生かし、探求し、よりよい状態にしていくことは、結果として良き環境を作り出します。

大事なのは、皆さま、他人様の「お陰」をもってこの世で暮らしているということを忘れないことです。

 

● 六徳学ではこの教訓「毋作非為」を、以下のように学びます。

 

六諭では→悪い行いはするな。

六徳学では→悪口はやめましょう。良いところを探す力を付けましょう。

「悪いこと」というのを定義すると、どれが悪くてどれはギリギリ大丈夫なのかという課題が出てくるかもしれません。一般的には、「嘘をつくな」「他人の物を盗むな」「道徳に外れた行為をするな」「殺生をするな」などがあります。これらはほぼ皆さんが得ていると思います。

普段からこういった「悪」をされてらっしゃる方はそうそういらっしゃらないですよね。

でも、「悪口」というのはこの世界中で日々ささやかれており、一度、「悪口大会」に入ってしまうと止まる事をしりません。

実はこの「悪口」・・・科学的な見地から、「幸」を逃がす行為であるということがわかってきています。

私たちの脳は大きく「2つの性格」を持っていると言われています。

● 動物性の強い「本能」を主とする脳(脳の奥の部位)→自己保存・自己愛が強い 無意識下

● 「理性、計算、思考」を主とする脳(脳の表面部位)→客観視・計算・進化が強い 有意識下

 

悪口を言う時は、他者について言いますよね。例えば・・・

「Aさんてバカよね」「Aさんてブサイクよね」「Aさんて貧乏よね」「Aさんさんて仕事出来ないわよね」

 

 有意識下にある脳の表面部位は「Aさん」を認識しているのですが、無意識化にある脳の奥の部位は、「Aさん」を認識しないのです。動物的な脳は常に・・・「自分、自分、自分」と、自分を一番として考えます。これが「自分を愛する」という形で表出すれば最幸なのですが、悪口を言ったときにどうなるか・・・

Aさんてバカよね」→「自分は・・・バカ」

Aさんてブサイクよね」→「自分は・・・ブサイク」

Aさんて貧乏よね」→「自分は・・・貧乏」

Aさんて仕事出来ないわよね」→「自分は・・・仕事出来ない」

・・・こういう風に変化していきます。

 

心理学の世界では、「無意識が人間の行動の9割を支配する」と言われています。

 

もうお分かりかと思いますが、もしも相手の良いところを探す「ヨイトコサガシ」をしていけば・・・。

Aさんてステキ」「Aさんて目がキレイ」「Aさんて勤勉」・・・無意識化→「自分は・・・」となり、それが日々の行動に反映されます。

 

現代は科学が発達した現代では、そういったことが科学的に解明され、脳科学として拡充していますが、実は先人たちはすでに「知っていた」わけです。

 

これらは「経験」に裏打ちされたものなのです。